合同事務局沿革

日本最初のライオンズクラブである東京ライオンズクラブができた時、その事務を担当する事務所が置かれることになった。これがライオンズクラブ東京合同事務局への長い道程のスタートであった。
そして、1952年3月21日にホテルテイトで東京ライオンズクラブが発足した時の事務所は、中央区築地の建設工業会館の5階、東京マーカンタイル株式会社内に置かれた。しかし、すぐに6月末からライオンズクラブを日本に誘致するに尽力された、旧大阪商船の社長でフィリピン友の会を主宰していた、村田省蔵氏のご好意で八重洲通りに面した今はない大阪商船ビルの2階に移ったのである。
約2ヶ月後の1954年8月1日から、旧日活会館に診療所を持つ、東京LC古川正重Lの千代田クリニックの待合室に移り、更に2ヵ月後、会長高橋貞太郎Lの、日本橋西川ビル9階、高橋事務所に移転をした。
その1年後の1955年8月には、東銀座の湯浅ビル内、福田太郎Lの福田事務所に移り、1956年1月、福岡陽道Lのお世話で八重洲国際会館6階の丸紅飯田株式会社 海外統括部の室内に移った。
更に1956年7月、元運輸大臣永野護Lのお世話で、日比谷通りのお濠に面した岸本ビル4階に9坪の小部屋を借り、初めて独立した事務所を持つことができたのであった。
1952年から56年にかけては東京ライオンズクラブのエクステンションも全国へとその網を広げていたので、同時に日本地区事務所も出来、同じ岸本ビルに同居をした。
その後、同ビルの18坪の部屋に移ると共に、日本地区事務所は岸本ビル内に一室を借りて別々となった。

東京ライオンズクラブが都内へのエクステンション活動を重点的に開始した1957年1月には、新橋LC、同年2月に渋谷LC、4月に日本橋LCが結成されると、それぞれのクラブの事務所は東京LCと同室内に置かれたが、この時点ではまだ各クラブで担当職員を採用し、個々に給与を支払っていたのである。しかし、形の上では職員が増え、地区事務所と合同して事務局らしい形態が整ったのである。
そしてこの時期都内においても毎月のように新クラブが結成され、事務所も手狭になり向かいの別部屋も使用せざるを得なくなった。

こうして1958年5月より、岸本ビルの敷金及び家賃は各クラブの人数割りで分担することになった。
1959年、各クラブの幹事が相談の結果、各クラブの事務所を一つにして「全東京ライオンズクラブ連合会」とし各クラブ職員は連合会と雇用関係を結ぶことにした。そして規約を作り、1960年1月1日に連合会として発足した。
連合会費は1会員当たり、一ヶ月430円とし、運営は各クラブ幹事が毎月幹事会を開いて行い会計は各クラブで結成順に担当した。

1960年代になると、都内のクラブの急速な増加に伴い事務局の拡張が必要となり、1962年5月に移転委員会が設けられた。委員長は、芝LC山口信吾Lであった。
そして、1963年1月10日より、名称を「全東京ライオンズクラブ事務局」と変更したのである。
新事務所としては、新築の日本橋日米ビルに移転することに決定。保証金1,600万円を用意するために、各クラブから出資金を集めた。出資金は1から24番目の堀留LCまでは、1会員当たり8,000円、以降結成したクラブは4,000円とした。
この他に、第8回年次大会の18クラブ出資金(1会員1万円)の残金2,384,464円と、当時の在籍クラブ、東京LCから江戸川LCまでの33クラブの合同事務局費を1年4ヶ月間、月200円値上げして(430円を630円に)計5,271,800円を集め、移転費用とした。
こうして「全東京ライオンズクラブ事務局」は1963年11月18日、新築の日米ビルに移転した。
移転完了時の現勢は加盟33クラブ、会員数2,056名、事務局職員24名であった。(一隅にキャビネット事務所が同居した。)
移転完了後、移転費用の残金1,600,000円余をもって監理委員会が発足し、その後に結成されるクラブの出資金1人当たり4,000円を監理することになった。

移転前の1963年5月、運営についても、従来携わっていた幹事会を発展的に解消し、ゾーンチェアマンが運営委員を兼任する案が作られて、同年7月の会長・幹事会で決定した。
しかし、翌年からは、ゾーンチェアマンの兼任は廃止され、各ゾーンより1名を結成順に運営委員として選出することになった。(1967年よりはリジョンより1名に変更された。)
その後も急速なエクステンションが続いたために、3年足らずで再び事務局が狭くなり、1966年12月に当時の運営委員会によって移転委員会が作られ移転を検討することになった。分室案等も出されたが、一括移転を1967年2月の会長・幹事会で決定した。
同時に移転委員会が強化され、移転実行委員会が設けられた。委員長、新橋LC西圭一L。
そして、1967年5月に落成間もない現在の本八重洲ビルに移転を開始、移転が完了したのは6月12日、加盟85クラブ、会員数5,709名、職員52名であった。
名称も「ライオンズクラブ東京合同事務局」と変更される。

2005年11月 本八重洲ビルより(現在取り壊し中)、以前キャビネット事務局として使用していた築地細田ビルに移転となった。
代表会長 清水治L(日比谷LC) 委員長 伊原勝彦L (目黒LC)

2011年 築地細田ビル7階に入っているライオン誌の契約変更に伴い合同事務局についても2011年3月1日より、坪単価10,000円より8,000円に減額されることとなった。
坪単価が下がることにより、月額賃料が609,500円より487,600円となり(差額121,900円)、年間1,462,800円の減額となる。
重ねて敷金についても変更となり、差額の365,700円が返金された。
代表会長 楠野幹夫L(恵比寿LC) 委員長 西村泰一L(鶯谷LC)
手続き等は、銀座LC 坂入高雄Lがライオン誌の顧問弁護士であった為、合同事務局の手続きも無償にてお願いできた。

2016年12月 築地細田ビルが老朽化により取り壊される事となり、明産新川シティビルへ移転となった。
代表会長 池田勝一L(深川LC) 委員長 橋口啓一L(葵LC)